中年ノスタルジア 【第2話】

56歳の僕

大学を卒業してすぐに就職した会社に今も勤めている。30歳が近づいたころに転職のための活動をしたこともあったが、結局は決断には至らなかった。とくに手に職があるわけでもなく、キャリアの大半は管理職として給料をもらってきた。もう32年間働いたが、若い頃とはやっていることもやりたいこともだいぶ変わってきたし、近ごろは長い会社員生活に息が切れてきたように感じている。何か新しいことに挑戦するよりも、この先どのように会社員生活を終えようか、そんなふうにも考え始めているところがあるからだ。若いころは自分の歳よりも若く見られることばかりで嫌だったけれど、今は、髪はもう半分くらい白くなったし、顔もずいぶん老けたから、すっかり年相応にしか見えない。心臓に少しばかり持病もあるし、血圧が高いので、定期的に近くの医者に診てもらってもいる。人生の折り返し地点はもうとっくに過ぎている。平凡な人生で、成し遂げたことなど何一つない。それなりに頑張ってきたとは思うけれど。子どもが二人いる。ようやく大学院一年生と大学三年生になった。子育てを終えるのもあともう一息だ。パンデミックも無事に生き延びたのだから、運が良かったし、もう30年以上一緒にいてくれている妻にはとても感謝している。リタイアしたらいろいろな所‘を旅したい、田舎暮らしがしたいと夢見ていたが、だんだんと現実的な老後生活が見えてくるようになった。残りの人生を妻と穏やかに過ごすことがささやかな願いだ。妻もそう思ってくれているかはわからないけれど。

今から50年以上も前の記憶だ。優しいおじいちゃんはあの時何歳だったのだろう。白髪で短髪、べっ甲の丸ぶちメガネ、いつも着物で、羽織も着ていた、出掛けるときは下駄と帽子、中折れ帽というやつかな。チャップリンのような丸く曲がった柄の杖も持っていた。どこからどう見ても明治生まれの紳士だ。70代後半、80歳くらいか、さすがに90歳ではない。亡くなったのは確か80歳代だったはずだ。

ふと、とくに期待していたわけではなく、何の気もなしに姓名をネットで検索していた。ひょっとしたら、とも思っていなかった。だが、すぐに目を疑った、ヒットしたのだ。同姓同名の人なのかもしれないが、おじいちゃんと同じ名前がそこにあった。人事興信録データベースにおじいちゃんの名前があると検索結果がいっている。人事興信録なんて見たことも聞いたこともないけれど、とにもかくにもクリックしてみると、おじいちゃんの名前や出身地、職業、家族の名前が書いてある。間違いない、これはうちのおじいちゃんのことだ。信じられない、半世紀の時を超えておじいちゃんがぼくの目の前に現れた。驚いて胸が鳴ったので血圧を心配しつつ、読み進める。明治22年11月生とも書かれている。西暦だと1889年だから、ぼくが生まれたときは77歳だったことになる。そして、ぼくのいたずらに困っていたのか、付き合ってくれていた頃は、80歳過ぎたくらいだったということか。おじいちゃん、あの時はごめんね、それと、ありがとう。それにしても、人事興信録とは一体何だろう。

(つづく)

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