人事興信録(第8版)
人事興信録(第8版)というから、どうやら出版物のようだ。驚くべきは、名前、出身地、身分、学歴、勤め先、役職、家族の名前、挙げ句に住所までが記されている。個人情報保護法どころか、プライバシーという、いわば現代の一般常識からもかけ離れている。それが、しかもインターネット上に公開されているのだからさらに驚きだ。過去の出版物には個人情報保護法は無力のようだ。しかし、そのおかげでぼくはおじいちゃんの生まれた年を知ることができたというわけだ。
もう少し調べてみると、人事興信録は、明治35年、西暦だと1902年に創刊された人物情報誌だという。いわゆる紳士録というものだろう。初版には3,314人、第8版には25,215人が掲載れている。その後も2年、3年毎に出版され、なんと2009年まで刊行されていたというからまた驚いた。ぼくとは無縁ということで、まったく知らなかった。しかし、明治、大正、昭和初期に出版された刊は、近代から現代への発展に伴って大きく変化した日本社会を解明する研究資産として評価されているのだとか。そのために名古屋大学大学院法学研究科がデータベース化を進めているのだそうだ。ということは、ぼくのおじいちゃんも研究材料の一つということになる。なんだかちよっと誇らしい気分になった。名古屋大学はこのうち、初版(明治36年版)、第4版(大正4年版)、第8版(昭和3年版)を公開している。ありがとう、名古屋大学さん、いままで縁もゆかりもなかったけれど。
今でいうところの個人情報、プライバシーだが、それぞれの時代の政財界、文化界の一部の上層の人たちの人物情報が掲載されていたのだから、とても重宝されていたのだろう。当時は載せる側はもちろんのこと、載せられる側にもメリットがあったのだろう。ぼくが子どものころも電話帳というものが各家に配られていたから、誰でも他人の家の電話番号を知ることができた。今では信じられないような話だが、当時はそのニーズがあったということだ。人事興信録もその役割を全うし、おそらく時代の流れには逆らえずに幕を下ろしたということなのだろう。今ではSNSがその代わりを担っているということかもしれない。
さて、もう一度中身を確認してみる。人事興信録に掲載されていた情報にはぼくが知らなかったことがたくさん含まれている。昭和3年、西暦1928年の7月、38歳のときのおじいちゃんと家族のことだ。
堀川一成 (第8版の情報)
- (位階・勲章・功級)
- (爵位・身分・家柄) 福井縣在籍
- (職業) 山下銀行(株) 大塚支店長
- (性別) 男性
- (生年月日) 明治二十二年十一月(1889)
- (親名・続柄) 堀川政平の長男
- (家族) 父 政平 元治元、六生、現戸主
母 れい 明ニ、三生、福井、士、岡東周四女
妻 久子、明三五、一生、福井、竹中亀治長女 - (略伝) 君は福井縣人堀川政平の長男にして明治二十二年十一月を以て生る
大正ニ年明央大学を卒業し現時山下銀行大塚支店長たり
家族は尚二女澄江(大一一、一一生) 三女和江(昭ニ、一生)
弟 久蔵(明ニ九、五生) 同妻クメ(同三一、七生、新潟、近藤亀蔵姪)
及其一男一女の外同龍平(同三七、ニ生) - (住所) 東京市外西巣鴨町池袋八ニ一
(つづく)
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