プロローグ
おそらく僕の中にある一番古い記憶だ。生まれ育った家。建て替える前の古い家、テレビドラマのセットのような昭和の家だ。玄関ドアは木の開き戸で、真鍮のドアノブ。玄関を上がるとすぐ右手にお手洗いがあって、正面にまっすぐ廊下が伸びている。右側に台所、左側に居間、突き当たりは電話が置いてある廊下の延長のような部屋、その先は洗い場のようなスペースと風呂場に続いていた。廊下の左手は和室が二つ並んでいる。和室から障子の引き戸を開けると半間の廊下、これを挟んで庭がある。障子とガラス戸をすべて開け放てば居間から庭を見渡せすことができる。昔はエアコンが無かったので、夏はこれでよかった。冬はすきま風が入って寒さが堪えるけれど。この庭に面した長い廊下の右手には納戸のような小さな部屋があり、そして、左手には”離れ“と呼ばれていた二階建ての小さい家があった。本当に離れていたわけではなくて繋がった一つの家だったが、増築した部分だったのでそう呼んでいたようだ。その一階の部屋にぼくのおじいちゃんが居た。
ぼくはその部屋にそっと近づく、四つん這いになって、そうっと近づく。座椅子にすわってテレビを観ているおじいちゃんの後ろ姿が見える。立ち上がってから音を立てずに忍び寄っていく、さらにゆっくりと真後ろまで近づく、そして、わぁっと声を出して、両の手のひらでおじいちゃんの肩をたたく。おじいちゃんは驚いておろおろと振り返る。ぼくはその様子を見ながら、楽しくて大喜びしている。
何をしても怒られないから、ぼくは調子に乗っていたと思う。いつも驚く、こらっ、とも言わないし、怖い顏もしないし、笑っていたように思う。ぼくはおじいちゃんにまったく気付かれずに背中までたどり着くことができる、いつもおじいちゃんを驚かせることができる、だから次の日も、その次の日も。ぼくはおじいちゃんの寿命を縮めたのかな。それとも、おじいちゃんは僕の足音にちゃんと気づいていたのだろうか。
おじいちゃんが死んだのは、それから何年か経ってぼくが小学校に上がってからのことだ。結局、最後まで一度もぼくはおじいちゃんに叱られたことはなかった。おじいちゃん、ぼくは今日で56歳になったよ。
(つづく)
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