火を愛でる

真冬はペレットストーブを使っている。

間伐材や端材を加工して造られた木質ペレットが燃料のストーブ。薪ストーブによく似ているが、もっと扱いやすい。燃料の調達、保管が簡単だし、使用後は毎日一度中を掃除しなければならないが、それほど大変じゃない。バイオマス燃料だから地球に優しいんだ、ともいえるけれど、そんなことよりも、エアコンより暖かいし、やかんの湯も沸く。何より、火を眺めることができる。

火はいつも同じじゃない。

きれいに燃やすには少しだけ手がかかる。今日は少しすすが多いな、燃えかすが残りそうだ。空気量の調整つまみはもう最大にしているので、外気温のせいなのか、どこか詰まり始めているのか、次の掃除はどのへんをしっかりやればよいだろうか。時間はかかったけれど、家の中はだいぶ暖まった。身体も芯から暖まる、遠赤外線効果というらしい。炎のゆらぎ、ゆらゆらと不規則に揺れる炎を見つめる。そうすると他のことはまったく気にならなくなる、気持ちが落ち着いてくる。やかんの音と湯気、お湯も沸いてきた。今晩も焼酎、お湯割り。一分間もかからないで沸騰する電気ケトルもあるが、こっちのほうがなぜか美味い。時間をかけてゆっくり沸かしたお湯は何かが違うようだ。

子どもの頃、うちには火鉢があった。

ガスコンロで炭に火を起こす。底が網状になった、鋳物の雪平鍋みたいな形、火起こし器。これを使って火を起こしてから、火鉢に移す。昔の家は寒かった。窓はサッシじゃないし、壁に断熱材もなかった。火鉢の暖房効果はわずかだったろう。でも祖父は使っていた。ペレットストーブのように炎はないけれど、真っ赤に燃える炭、白い灰、ほのかな炭の匂い、小さくバチッと鳴る音はペレットストーブにはない。五徳と鉄瓶、祖父は炭で湯を沸かしていた。祖父はお酒は呑まなかったのだろうか。明治生まれの祖父はいつも着物を着ていて、沸かしたお湯で茶をたてる。部屋に遊びにいくと、ときどきわたしにも茶をたててくれた。真似して自分でやってみたりもした。祖父はかなり厳しい人だったそうだが、わたしは一度も叱られたことがない。正座こそするが、作法はそこそこ。それでも褒めてくれるし、なんだか嬉しかった。そのころのわたしには茶の味はまったくわかっていなかった。祖父は炭でゆっくり沸かした湯の違いを知っていたのだろうか。きっとそうだろう。

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