旅の空から#1 秋、四国・香川.高知.愛媛編

立冬を過ぎて、

朝はだいぶ肌寒くなったが、日中はまだ暖かい、今年の冬はゆっくりだ。
休暇をとって妻と二人で旅に出ることにした。この歳になるまで四国には縁がなかった、それがこの旅のきっかけであり、目的でもある。
行きはのんびり鉄道旅にすることにした。それでも早起きしたおかげで、昼前には高松に着くらしい。新幹線はとても快適だ。たまの二人旅、グリーン席を取っておいた。妻はとても機嫌がいい。駅弁も久しぶりだ。美味しかった。早朝出発が気がかりで昨夜はあまり良く眠れなかった。妻は腹が満たされてもう隣りで眠っている。岡山までね、おやすみなさい。

いよいよ瀬戸内海へ、

岡山で新幹線はおしまい。つぎは快速列車、マリンライナーだ。テレビの旅番組で観た記憶がある。瀬戸大橋を渡るんだ。楽しみだ。

瀬戸内海は曇り空だったけれど、とても静かで、波がなく、おだやかな海だった。鉄橋を渡る電車の中は決して静かではないのだけれど、そんなふうに感じた。

あっという間に坂出、もうすぐ高松だ。

高松到着、

東京駅から約4時間半、思ったより近い、陸路でもまったく問題ない。まだ半日残っている。鉄道旅はとても気分がいいが、効率よく妻の行きたいところに連れていくには、やっぱり車だ。レンタカーを予約しておいた。ふだんの車と同じくらいの小型車、これからの旅、よろしくお願いします。

まずは腹ごしらえ。定番の讃岐うどんをいただく。平日の12時すぎ、お昼休みにやってくる人たちで店は溢れているが、せまい店内で整然と列を組み、注文するのを待っている。いわゆるセルフ店だ。初心者の観光客にはとってはほぼ当てずっぽうでの注文だが、店員の方も親切で、なんとかうまくいった。観光客が混ざってやってくるのも日常なんだろう。味もとてもよかった。東京で食べる讃岐うどんはとにかくコシが強い、コシが強いのが讃岐うどんだと主張しているように思うが、ここでは少し違う。コシもあるけれど、それよりもツルツルとした喉ごしが印象的だ。本場はやっぱり美味い。

高松城は瀬戸内海に面した海城だ。天守はもう残っていないが、天守台からの眺めはとても気持ちがいい。残念ながら、海に面した月見櫓(櫓といってもかなり大きい)は修繕中ということで、その姿はほとんど見ることが出来なかった。

丸亀へ、

次は、現存天守、丸亀城に向かう。山城だ。こじんまりしているが、見事な天守が残っている。二の丸や、櫓は何も残っていないが、天守だけが残ったのは不思議だ。眺めも最高、瀬戸内海がきれいだ。遠くに瀬戸大橋も見える。朝の瀬戸内海は曇り空の下だったが、午後はよく晴れた。

琴平へ、

明日の金毘羅宮参拝のために、宿泊は琴平温泉にした。「貸切湯の宿 ことね」、とてもお手頃で満足。早めの夕食、ホテルの近くで地元めしをいただいた。骨付とり、もも肉のまるごとロースト、というものだったが、なかなかいける。海の幸は明日食べられるだろう。

歳のせいで、すっかり早起きは苦にならない。朝食を済ませて、8時前に参拝道へ。テレビでなんどか見たことがある、長い階段と軒を連ねる土産物屋や飲食店。しかし、朝早いおかげで、店も開いていないが、人も歩いていない。静かに、のんびり、ゆっくり登ろう。本殿までの階段は785段。振り返ると素晴らしい眺めだ。お参りではいつものように家族の健康、息子たちの成長を願う。

金毘羅宮のふもとに、ここでももう一つの目的地がある。現存する日本最古の芝居小屋、金丸座だ。中村吉右衛門さんで復活させたこんぴら歌舞伎だが、1835年に建築され、いまも現役の芝居小屋だ。スタッフの方がつきっきりで案内してくれるので、歴史、構造がよくわかった。とにかく建物が素晴らしい。江戸時代のデザイン、芝居をする側、芝居を観る側、どちらにとっても考え尽くされている。すべてが機能的、だから美しい。来てよかった。

つぎは高知、

四国は思っていたより山深いところだ。美しい渓谷、3km、4kmのトンネルがざらにある。昔はどうやって国境を越えていたのだろう。その苦労は真似できない。

途中寄り道、祖谷のかずら橋。徳島県三好市の祖谷という山村、イヤと読む。道すがらではあるが、徳島の名所もいただく。平家落武者伝説の残る秘境だ。シラクチカズラで作られた橋、敵の攻めを受けたときに、容易に橋を落として侵攻を防ぐことができるためということだそうだ。現在復元されているものはワイヤーのケーブルが構造上使用されている。人が安全に渡ることが出来るようにするためには必要で、建築基準で決まりがあるのかもしれない。それでも足元は隙間ばかりでスリル満点だ。日本三奇橋と呼ばれる、その一つ。大月の猿橋はすでに訪れているので、残る一つは岩国の錦帯橋らしい。いずれ。さて、ぼくは高所恐怖症のため遠慮したが妻は渡りに行った。楽しそうに手を振っている。

今日の宿は高知市内、「三翠園」。立派夏ホテルでした。チェックインを済ませて街に出る、ひろめ市場へ。市場というがイートインが中心、大人のフードコートといった感じだ。餃子をつまみながらビール。美味い。意外にも高知のソウルフードは餃子らしい。人気店で出て来たのは揚げ餃子だ。へぇ、これも美味い。

そろそろ夕暮れが近づいてきたが、目の前の高知城、この旅3つ目の城を攻めよう。功名が辻、山内一豊の城だ。高知市内を見下ろす小高い山城だ。天守からの眺めは素晴らしい。元々、土佐の王は長宗我部元親だ。時代は移り、長宗我部は関ヶ原で西軍につき、大坂の陣でも豊臣側についた。かつて力で土佐を制圧した長宗我部は国を失い、代わりに山内一豊は徳川から土佐一国をもらった。大出世だ。山内はこの後明治維新まで代々この国を治めた。きっと徳川に対する恩義を忘れなかったのだろう。官軍になり徳川幕府を倒すことになった土佐山内だが、高知城の御殿を維新後に懐徳園と名付けたと記されていた。栄枯盛衰、人の努力は公平だが、きっと人生は運なのだ。

四万十へ、

翌日は四万十へ。途中、桂浜に寄る。有名な景勝地だが、とくに何があるわけではない。有名な坂本竜馬像がそびえてはいるが。この浜は、なぜか急な高波が発生するとかで、死亡事故の報道も記憶にある。景色からはまったくわからないが、特殊な地形のせいらしい。そのため年中遊泳禁止だ。だからずっと変わらない景色なんだろう。自然が自らの力できれいな景観を保っている。

四万十川は大きくうねりながら太平洋に向かって流れている。流域には一つもダムや人口の堰はないため、最後の清流といわれている。それでも自然は容赦しないので、増水による水害との闘いは続く。沈下橋が有名だ。欄干を造らず、流線形の橋桁で、鉄砲水が来ても、橋は沈むが絶対流されない設計。面白い。今日の静かな流れからはとても想像できないけれど。

三泊目の宿はどうやら公共の宿らしいが、そうとは気づかなかった。部屋は広いし、料理はとても美味しい。「ホテル星羅四万十」、おすすめです。四万十牛、かつお。高知の酒の一つに栗焼酎がある、これもたっぷり楽しんだ。今日も贅沢した。部屋は四万十川に面している。朝起きてすぐにカーテンを開ける、朝靄に覆われて、この眺めもいい。

最終目的地、松山へ、

北上しながら、名所を巡る。まずは宇和島城。この旅、4つ目の城を攻める。山城、美しい天守が奇跡的に残っている。入り組んだ湾を見下ろす。眺めもいい。四国は城好きにはたまらない場所だ。妻もその一人だ。

勢いに乗って、5つ目の城も落とそう。大洲城だ。かつて藤堂高虎が築城し、平成になって再建された。再建といっても、ここは侮れない。かつての工法どおりに正確に復元された天守閣。もちろん木造だ。どこかのコンクリートの再建城とはわけが違う。素晴らしい。100年後、200年後、ふたたび歴史を重ねていくだろう。いずれは、日本の名城、いや世界の名城といわれるかもしれない。

ついでにもう一つ寄り道、瀬戸内海に面した下灘駅だ。無人駅と静かな海、いわゆる映えスポットとして近年有名だ。若い子たちがたくさんいて写真をとっている。この歳で少し恥ずかしかったが、負けずに撮影に臨んだ。やっぱりきれいだ、とにかく天気に恵まれた。来てよかった。

4泊めの宿は道後温泉。「別邸朧月夜」、最高の宿でした。部屋も料理もサービスも、どれも満点。妻も喜んでいる。

道後温泉といえば、道後温泉本館。なんでも、昔は湯量が少なく、この本館と呼ばれる共同浴場だけが道後温泉につかれる場所だったそう。中には皇室専用の浴室、控え室もある。昭和の時代になって他の源泉を掘り当ててから、内湯のある温泉宿が次々出来たらしい。残念ながら道後温泉本館は修繕工事中で、テレビの旅番組で見たことがある立派な建築の全容を拝むことが出来なかった。残念。

そのぶんホテルでゆっくり過ごした。温泉にもたっぷりつかった。朝も湯を楽しんでから、この旅最終日の松山市街へ。いよいよ6つ目の城、松山城を攻める。なんだか、この旅は城巡りといってもよさそうだ。松山市街を見下ろす山城。ロープウェイに乗ったがあっという間に到着した。健康のために歩いて登ることも十分おすすめできる距離、勾配のようだが、楽をした。松山城も数少ない現存天守の一つ、天守と小天守、2つの櫓が連立している、たいへん立派な城だ。素晴らしい。

松山でもう一つ行きたかったところがある。ぼくは妻ほどではないものの城好きだが、鉄道も好きだ。松山市街にダイヤモンドクロスと呼ばれる場所がある。鉄道と路面電車、道路が平面で交差する、日本唯一の場所らしい。路面電車で降りる場所を間違え、10分ほど歩いて現地に向かう、ようやく到着した。ここだ。ところがなんと2-3分で鉄道、路面電車がやって来た。すぐに交差する。ぼくはかなりついている人間のようだ。

帰路、我が家へ、

松山から空路、羽田へ。帰りはまるでどこでもドアを開けたみたいだ。

終わってみると、旅はいつも短い。あっという間だった。妻は喜んでくれたようだ。妻は大病したせいか、老後の心配よりも、元気なうちに旅をしたいとよくいう。たしかにそうだ。生きているから旅ができる、美味しいものが食べられる。妻はもう次の旅はどこにするかと聞いてくる。どこに行こうかと考えているときが一番楽しいらしい。また行けるといいね。

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